スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鑑賞的な思い出を羅列しよう

冬はつとめて感傷の季節です。
なぜなら私が誕生日を迎えるからです。

2月の思い出はあまり多くないように思います。
バレンタインに誕生日、入試とイベントには事欠かないはずなのに、
肝心な記憶がどこかに消えているのです。
例えば適当に9年前の2月を思い出してみましょうか。
2004年の2月。
当時私は高校一年生で、地元のライブハウスでコピーバンドをやっていたと思います。
バレンタインデーに何かもらった物があるかというと曖昧になってしまう。
多分あれは2月でした。
しかし本当にそうだったか、記憶は霧中にあります。
これが3月であれば記憶はもっと明確なのです。
福岡ドームに遊びに行って、ホークスタウンのHMVで大塚愛と10-feetというバンドの新譜を購入しました。
母が購入したのはブルーオイスターカルトのベストアルバムです。
車内で流れていたのはMr.Childrenのくるみ/掌のシングルとミッシェルガンエレファントのこちらもベストアルバム。
その月に兄が熊本の大学に入学し、部屋を当時の僕が引き継ぎます。
初めての一人部屋に大喜びして、その日はエレキギターをアンプに繋いで一日中演奏していました。
3月が変化の月であるのに対して、2月は安定の月です。
聴いていた音楽さえも思い出せないくらい、2月は変わりばえがしないのです。

ついでに8年前の2005年3月にはナンバーガールを聴きながら家族で熊本に行ってましたが、
それと同時に思い出深いとある良い経験をしました。
偶然にも中学校を卒業した10年前の2003年3月にも熊本に旅行に赴いており、
阿蘇ファームランドというレジャー施設に宿泊しました。
その際にはB'zのit's showtimeのシングルやオフスプリングのAmericanaを聴いていたことを記憶しています。

私が物事を記憶しているのは大抵は音楽に依っています。
センター試験会場へのバスの中ではレディオヘッドのthe bendsですし、
私立大学受験のホテルではbump of chickenのMDです。
ホテルに宿泊した時は初めての一人きりの空間に心を踊らせて、
無駄にテレビのチャンネルをぐるぐる回していました。
テレビを見るようになったのは高校二年生の2004年10月以降ですが、
それは純粋に話題を作るためのものでした。
携帯電話で興味のない学園ドラマを見ながら当時話題のドラクエ8をプレーしつつ数学の教科書を読みポップソングユニットの曲(ジャンヌダルクだったと思われる)を聴いて、
最終兵器彼女という漫画を一晩かけて読み終えるようにメディアを消費していたのです。
(ちなみにこれらのことを全て同時に行っていたことを明確に記憶しています。
後々まで記憶するためだけにこのような奇特な行動をとっていたのですが、その目論見は明らかに成功しています)

8年前の2005年8月にもう一度熊本に行った時には、兄の当時の彼女さんと一緒にスターバックスでコーヒーを飲みました。
ブランキージェットシティのカセットテープとストロークスのreptiliaに、
the band apartのquake&brookという今でも時々聴く名盤です。
このアルバムは防衛大学校を福岡で受験した際にも聴いていましたし、
この文章を書いている正に現在も懐かしくなって聴いています。
take me higher.

次に熊本に行くのは5年前の2008年2月に免許取得のために帰省した時ですが、
その時聴いていたのはガブリエル・フォーレのレクイエムでした。
当時熱中していたのはエリック・ウィテカーやオリヴィエ・メシアンといったクラシック作曲家です。
その後現在に至るまで熊本には足を踏み入れてもいません。

音楽と関連付けて事実を記憶すること。
3月11日に地震が起きた時はsyrup16gを聴いていたし、
去年のはじめ頃にニュージーランド旅行をした時はレディオヘッドのkid Aとアムニージアックでした。
7月に現在の大阪の合唱団を見学に行った時にはjoanna newsomです。

私が絵画が好きだったらそのイメージと照らし合わせて物事を記憶しているはずです。
去年の5月に見に行ったジャクソン・ポロックには物凄く心を打たれました。
美術館への憧れが満たされた瞬間です。
小説が好きだったら文章による記憶を保持しているはずです。
去年の9月に読んでいた三島由紀夫の仮面の告白は、芸術性の限界を感じざるを得ないほどでした。

思い出に関してはあまりに多くて、
死ぬ間際に走馬灯が見れるとしたら一生掛けても終わらないかもしれません。
村上春樹の小説で時間が圧縮されて一生を空想の世界で暮らすことになる男の話がありましたが、
良き思い出に浸り続けられるのであればそれほど悪いことではないかもしれません。

私達の思い出は物語の要素を十分過ぎるほど含んでいます。
秩序だてて報告することができればだれでも自らの経験のみでノーベル賞さえも受け取ることができるでしょう。
一度浸ることになれば毒沼のように生命力が削り取られていきます。
しかしそもそも生命などは削られてしかるべきものです。
何を気にする必要があるのでしょうか?
遺伝子がリンクしている限り、私たちは喋り続けても咎められないのです。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Touch0225

Author:Touch0225
神奈川県在住

音楽を聴いたり、作ったり
するのが好きです。
時々日記を更新します。

カテゴリ
カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。