スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

諦めたことのある夢について?

スマートという単語が割と本来的な意味で使われることが多くなった気がします。
なんだか子供達が少しだけ賢くなりそうで嬉しいですね。
誤った歴史には修正を。

和製英語というものに私は個人的にいい気分がしておりません。
何も私はファミコンと呼ぶのをやめてNESと呼べ!と言っているのではありませんが、
このカタカナ語は、英語では○○って言うんだぜ、本当は全然違う意味なんだぜ、すごいだろ!
みたいなフルーエントな声明を聞く機会に飽き飽きしています。
何というか、「たまたま得た」だけの知識を披露する態度、というのでしょうか。
まぁでもそうは言っても知識は蓄えておくだけでは意味が少ないので、
どんどんひけらかして磨き上げてください。
光沢のある知識は必要とされます。

私はかつてマジシャンに憧れていたことがあります。
奇術を行うことを業とする者。
小学生の頃に某北九州のテーマパーク(駅名にもなるほど有名な所です)にて、
プリンセス・テンコー氏のマジックショーを見たことが深く記憶に残っています。
そういえば最近テレビで現代のテクノロジーを駆使した新しい形態のマジック、みたいなのをやっていて、
映像や音楽とマジシャンの動きや奇術を同期させてなかなか面白いマジックを見ることができました。
空中を撫でると大画面に線が映し出されたり、
観客から借りたiphoneでその場で手品をやったり(画面に映ってる物が本当に出てきたり、とか)、
幼い頃の今と変わらぬ純粋な気持ちに戻ることができました。
magic is misconception (って、そのマジシャンの人が決め台詞のように言ってた気がします)

マジックというと、私はかつて真剣に練習しようとしていた時期がありまして、
とても簡単なカードやコインマジックは出来たような気がします。
最近はチャイナ・リング(4つぐらいのリングがくっついたり離れたりするやつ)を練習してみようか、なんて考えています。

さてさて、センター試験の行われる昼下がり、大阪の某高校の合唱演奏会に出向きました。
全国大会常連という実力ある高校なのですが、
現役生の人数が少ないため、OBの方々と合同という形での演奏が多かったです。
OBさん方が加わると音に厚みが増して迫力のある演奏となりましたが、
その分丁寧さに欠けるという印象を持った次第です。
現役生は8名という少人数ながらも、流れるように美しく旋律を歌い上げており、
第一音目を聞いた瞬間から驚いて自然と前傾姿勢をとる形となってしまいました。
前情報が少なかったので期待はそれほど大きくなかったのですが、
期待という感情を全くもって相応に活用することができました。
期待は裏切られなければ楽しくありません。
それに中庸を求める際にはあらかじめ中度の期待を持てば良いのです。

私の期待は今後もしばしば裏切られることになるでしょうが、
その度ごとに強気で日々を過ごしていきたいと思います。
スポンサーサイト

疑問文の連鎖

どうやって夢を発見したのか?
どうしても必要な家財道具は何か?
特殊相対性理論について理解しているか?
明るい未来とは何か?
時計は時間通りに進んでいるか?
部屋のカーテンは何色か?
エアコンの設定温度は何度か?
雪を見ると心が踊り出すか?
無駄遣いせずに一日を終えることができるか?
必要なものと不要なものの区別はつけられるか?
世界に対してどうしても知らせないといけないことは何か?
何色の筆箱を持っているか?
つい畏まった態度をとってしまうのはどんな時か?
楽しいことはあるか?
常に目標をもって行動しているか?
哲学をこれまで真剣に学ばなかったのはどうしてか?
真摯な研究態度を捨て去ってしまったのはいつ頃か?
時間を戻すことができるならどのポイントか?
自然物と人工物の区別は有意義であると思うか?
世界に根拠を求めても明確な返答は得られないことを知っているか?
必要とあらば親友はあなたを見捨てるが、見捨てられる覚悟はあるか?
生命を捨ててはいけないと思うのはどんな時か?
いつ初めて物事を真剣に考えたか?
諦めの水準はどこまで達しているか?
病気に掛かる準備はできているか?
家を離れることは可能であるのか?
家族を見捨ててしまう人を見て泣かないことができるか?
物語に結論は必要と思うか?
文章に主語は必要と思うか?
人生に目的は必要と思うか?
つまり、あなたはどうして生きているのか?

そして、果たして私に対しての答えは返ってくるのでしょうか?

自分を動物に例えるならば?

5分ほど答えを考えて、切なくなってやめました。

今私は、J.S.バッハ作曲のフランス組曲という6曲構成のピアノ曲を聴いています。
演奏者はグレン・グールド。
私の幼稚園時のスター的ピアニストです。
グレン・グールド(wikipedia)↓
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/グレン・グールド

聴いてすぐわかる特徴は、装飾音符が明らかに多いとか、フレーズの途中で突然スタッカートを入れたりとか、などかな?
独自の解釈によってバッハを演奏していたことが高評を博しているようです。

さて、私は幼稚園の頃とてもピアノが好きで、
家に帰るとすぐにカセットプレーヤーの前で楽譜を眺めながら、
ねずみのようにスピーカーに耳を傾けていました。
それを毎日のように繰り返していたのを見た母が、
私にピアノを習わせるのではなくなぜかバイオリンを習うように仕向けたのです。
私はバイオリンなんて恐らく当時は名前ぐらいしか知らなかったと思いますが、
その音色に関して言えば特に気にいる点はありませんでした。
過去完了のみならず、現在進行形で、あの華々しい音色に対してあまりに興味が薄いのです。
ピアノの発する淡白な打鍵音に私は取り憑かれていたのに、
母の何気ない選択によって淑やかな強迫観念は除霊されてしまいました。
どちらかというと過去を気にしない私が、
人生で唯一誤った選択をした(させられてしまった)と思っているのは、ピアノを習わなかったことです。
(ちなみに最近になって、私にバイオリンを習わせた理由を聞いたところ、
「ピアノばかり聴いてたから、あえて」という答えが返ってきました。
よく言えば眼前の事実に捉われないリベラルな発想を遺憾無く発揮したのでしょう)
あの青白い機械的な打鍵音を手にする機会を逃してしまった私は、
大学入学後にようやくピアノを練習する時間を得ることが出来ました。
しかし成長期はとうに過ぎ去っているので、私に弾ける曲は非常に限られていました。
もし私が当時ピアノを本気で習っていたとしたら、という仮定。
生死を分かたないにせよ、クロノクロスであれば確実にそこで世界は分岐したでしょうし、
ドラクエ6の幻の世界ではきっと一流ピアニストとしてブーレーズのセリー音楽を演奏していることでしょう。

過去を省みる動物というのが人間の他にいるでしょうか?
死の直前には野生動物も大量のかつて見たビジョンを再度目に写すのかもしれません。
しかし恒常的活動として、過去を振り返り涙する動物を私は想像することができません。

5分間の思考でも文章化するにはえらく手間が掛かるものです。


日常の記録として、昨日家にシンセサイザーが届きました。
3年ほど前から夢見ていた楽器ですが、
居住空間が畳五つ分ほどに限定されているため、
新たな楽器はその中に横たわって待つことはできません。
とりあえず今の所玄関に立て掛けていて、まともに触るのは明日からの連休中になりそうですが、
久しぶりに鍵盤楽器の練習ができることに心は温まり上昇運動を続けています。

無くしたいと思う無駄なことは?

あけましておめでとうございます。

例えばこの挨拶にしても、億劫だと感じて仕方がない人は無くしてしまえばいいのでしょうか?

私はこういった因習的挨拶に対してはかなり肯定的なのですが、
他人が挨拶に対して払っている労力を感じる時、
あなたは強いて言葉を発する必要はないんだよ、と言ってしまいそうになります。
とはいえどの程度の挨拶が省略すべきでないのか、という基準を決めるには、
いささかの矛盾を甘受せざるを得ないでしょう。

1.朝起きてから初めて会った人に言う「おはようございます」。
2.新年を迎える時の「あけおめことよろー」。
3.ご飯を食べる前の「いただきます」

何となく私は3→2→1の順に省略しがたいと思っているのですが(いただきます、と唱えるのが憚られる場合、食前に合掌する等でも代用可)、
食前食後の挨拶に重い意味を感じているのはどちらかと言うと少数派なのではないかと思います。
3が一番な理由は食物連鎖の偉大さと植物を含む生物の命に対する敬意を重視するからで、
2が1に勝っているのは1/365というレアリティーの問題です。
少し極端に解すれば私は別に毎日の挨拶は必要ないと思っているともとれると同時に、
だからといって冷淡な理性からそう考える訳ではなく、挨拶に対して温厚な精神を持ち合わせているということもわかります。
労力は必要な時にだけ使えば良いのですよ。

グッドモーニング。

年末年始は旧友と会うことが多く、
1月5日には珍しく小中学校時代の友人と遊びました。
彼は家庭を持っているのですがどうやら将来に対する不安があるようで、
私は彼に優しい言葉をかけることぐらいしかできませんでした。
気遣いの心があっても、その心を体現した台詞が自然に出てくるとは限りません。
それに私だって他人の言葉によって傷つくことはあります。
だから言葉や態度を信じ続けることはできない。
だけど人が生きる時に、言葉と態度以外に価値判断できるものなどあるのでしょうか?

1月4日は高校時代の友人と遊びました×2。
1人目の友人と一緒にディズニー映画を観に行きました。
その後懐かしのファミレスでランチをとったのですが、
私はここでも字面の美しい言葉を紡ぐことができなかったように思います。
いつまでも成長しないものですね。
しかし置き土産と称して、ストラヴィンスキーの代表曲である「春の祭典」を紹介しました。
話題になってる悪の教典みたいなタイトルですが、
初演時には演奏会場で騒乱が起こったという伝説の残されているバレエ楽曲です。
願わくは、私の友人がyoutube動画を見てくださることを…。
http://m.youtube.com/watch?v=PtaQbC1eUME
2人目の友人については結構会う機会が多いので省略します。

1月3日と2日は大学の友人と大分に旅行に行ってました。
久々の車の運転で体力を消耗してしまいましたが、
これといった不安定要素もなく、なかなか楽しいものになりました。
友人が写真を時々撮っていたというだけで、小心者の私は安堵してしまいましたね。

私の心の弱点は把握していますし、その知識はお墓にまで持参する所存です。
それは私以外の者には永久にわからないものになるでしょう。

今回の休みの集大成的に、12月30日は高校のクラス会があり、懐かしいメンバーと多く会話することができました。
中には卒業以来会ったこともないような人もいて、
話をする内に親しさを取り戻して行く感覚がとても心地良かったのです。
私達の感じる快楽の種類は非常に少ない、という主張を最近見たことがありますが、そんなことは断じて無いと言い切れます。
会話する相手によってその相手特有の心地良いリズムがあります。
ある人に対しては私が喋り続け、
ある人には質問を多く繰り出して、
ある人と一つの話題を共有する。
どれにしたって得られるものは異なるのですから。
それにその日は久々に無駄に一人ではしゃぎ回っていたので、
帰宅してから微妙に反省してしまいましたが、まぁ気分は良くなりました。

それにしても、他人の得意な会話というのはいかにもおとぎ話のように聞こえてしまいます。
例えがものすごく適切でないのですが、悪い意図は一切持ってなくて、
そのおとぎ話をいかにして自分の体験と重ねられるかという方法論について、
今後全力を持って考えていく機会となった気がします。
話を聞いたその時点では私には何も蓄積されないのですね。
追体験を完了することによって現実性のある話題となるし、
それを他人に伝える時も引用等によって可能な限り体験可能性を高くして会話するのが良いのでしょうね。

さて、明日からまた普段の生活が始まります。
特別な生活がどういうものか、もしもまだ理解できない方がいらっしゃいましたら、
早くそういうものが発見できるといいと私は心から願います。
プロフィール

Touch0225

Author:Touch0225
神奈川県在住

音楽を聴いたり、作ったり
するのが好きです。
時々日記を更新します。

カテゴリ
カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
12 | 2013/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。